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国立5・18民主墓地

自由公園の後、錦南路を通り、道庁と噴水を見て
「国立5・18民主墓地」に向かいます。
旧道庁は「国立アジア文化の殿堂」に生まれ変わる工事中で
噴水も残されるそうです。
残念なことにロータリーの中で、車が止められないし、
時間もないし、と近くで見ることができませんでした。
5・18民衆抗戦追慕塔
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遺影奉安所の入ると目の前いっぱいに写真
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写真のない人はむくげの写真が(무궁화)
子供もいますね。
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武装構想群像
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壬辰倭乱から東学農民運動、3・1独立運動、光州学生独立運動、4・19革命
5・18民主化運動、統一マダンのレリーフ
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墓地
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裏にメッセージを刻んだものも
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長い間国民にも真実が伝えられなかった光州事件も今は展示館もあり
国内外からの訪問者も迎え入れる空間になっています。


      年表を見ていて気付いたのですが
      IOCがソウル五輪を決めたのは1981年9月のことです。
      軍が市民を虐殺した光州事件の翌年で、
      金大中に死刑判決が下り(即日無期減刑)
      再び軍事政権が始まった時です。

      そして、ソウル五輪が開かれた1988年は
      盧泰愚が、光州事件を「民主化のための努力」と認め
      やっと本当の民主化が見え始めたころです。

      東京五輪も
      福島を解決しろというIOCからのメッセージでしょうか?
by 9peace | 2013-10-17 09:56 | 韓国で民主主義を考える
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