井邑で昼ごはんの後、バスで2時間半。
永同(영동)へ 「ノグンリ」って聞いたこともなくて「なんだ???」って感じで行ったのだけれど 事件の経過 1950年7月(朝鮮戦争が始まって1か月後)北朝鮮は破竹の勢いで 南下していました。不意を突かれた米軍と韓国軍は南に向け敗走中。 ヨンドン郡の住民は米軍から「安全なところに避難させるから南下しろ」という 命令で500名ほどが荷造りして避難しはじめます。 ノグンリの京釜線の鉄橋に差し掛かると米軍は避難民の荷物検査をし カマやノコなどを取り上げます。そして住民を指揮していた兵士は、 本部と無線連絡した後その場を離れました。 すると間もなく、米軍のP51スタング戦闘機が現れました。 戦闘機は鉄橋の上にいた避難民をめがけて機銃掃射を始めました。 逃げ惑う避難民を銃弾が容赦なく襲いました。 人々は先を争って、鉄橋下の水路用トンネルに駆け込みました。 しかしそこは避難所ではなく、彼らの墓地になってしまったのです。 米軍は、トンネルの両側に機関銃を設置し、一斉射撃を加えました。 住民には理由もわからないまま3日間も銃撃が続いたのです。 夜間の闇をついて逃げ出した一部を除いて、 死体の山を築いてしまったのです。 今も上に鉄道が通っています(ここはノグンリ事件の現場です) ○は銃弾の跡、△はまだ銃弾が残っているところ 右の矢印の人は体験者。6歳ぐらいの時のことで親と一緒に山に逃げたそうです。 左の矢印は水が出ていたところ。水を飲みにトンネルを出ると狙い撃ちされた!! 上の写真の反対側。 ノグンリ記念館は銃弾跡を模した穴がいっぱい空いているつくり。 ここにも蝶(나비)が ノグンリ事件が公になったのは1994年、虐殺事件で幼い息子と娘を失った チョン・ウニョン氏が「ノグンリ虐殺事件 君よ我らの痛みがわかるか」という本を 出版してからです。 米の秘密文書のマル秘扱いを解かれたとき虐殺事件関係のファイルが 発見されました。 「戦闘地域を移動するすべての民間人を敵とみなし発砲せよ」 このツアーの中にこの事件をよく知っている人がいました。 この事件を描いた「小さな池」(작은 연못)という映画を見たというのです。 帰ってきてから、ツタヤに行きました。 ありました。準新作で! 子供が泣くとまた撃たれてしまう。静かにさせろ!と言われて池に沈めてしまった、、、、 日本でもそんな話がありましたよね。沖縄で、ガマの中で、 戦争のもとでは知られていない同じような事件がもっともっと たくさんあるのではないでしょうか? 今回の旅でもっとも衝撃的な出会いでした。
by 9peace
| 2013-10-29 10:31
| 韓国で民主主義を考える
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