光州事件とは

光州空港で飛行機を降りると(タラップで)すぐ目の前に
戦闘機がありました。
そして空港近くの当時戒厳軍の指揮所だった場所(尚武台)で
5・18自由公園と5・18記念公園として造成されたところに行きました。


    その前に光州事件とは?
    映画「光州5・18」やドラマ「砂時計」に描かれていますが
    その背景を予習します。


    1963から1979年まで朴正煕による軍事独裁が続いていました。
    1979年、釜山、馬山事件という朴正煕退陣要求の大きなデモが起こり
    朴政権の内部抗争の形で部下だった金載圭が朴正煕を射殺します。
    催圭夏国務総理が大統領権限を代行し80年2月に金大中など687人を
    復権させ、民主化への期待が高まっていました。
    けれど水面下では新軍部と言われる、全斗煥、盧泰愚などの力が強く
    なっていました。
    1980年4月ごろから労働者学生のデモが頻発し5月15日には
    10万余の学生が、学園の民主化、軍事教練反対、戒厳令の解除
    などを求めソウル駅前に集結しましたが、市民の呼応が少なく
    軍隊出動のうわさが飛んだためデモは終結しました。
    1980年5月18日に戒厳司令部は金大中など26人を逮捕し
    金泳三を自宅軟禁しました。
    そのうえ、戒厳令を拡大し政治活動の停止、言論、出版、放送の事前検閲
    大学の休講などを盛り込み布告され全国の民主化運動は沈黙を
    余儀なくされました。

    しかし全国で唯一この沈黙を破り、新軍部の支配に挑戦した都市の
    学生、市民がいました。

     これが光州市でした。

自由公園の案内板
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中に入るとまず正面に、道庁前広場の噴水を取り囲んで集会をする学生市民の写真があります。
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表には軍に捕まえられ連行される姿が
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拷問のシーンもありました。
そして、一方的な裁判がされた法廷も残されていました。

光州を無差別に鎮圧せよ
    作戦名   「華麗なる休暇」

秩序を持って行動していた学生たちに20,000人余の空輸部隊が投入され
最後は市民軍となって道庁に立てこもった人々も27日には流血を持って
鎮圧されてしまうのです。
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by 9peace | 2013-10-12 14:35 | 韓国で民主主義を考える
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